風邪のときの過ごし方にはいくつかある。まず言えるのは、Xは悪手だということだ。風邪で寝込んだ5日間のうち、「たまにはネットウォッチでもするか」と一日Xを眺めたが、時期が悪いこともありなかなかひどかった。昔の2chでは夏休みに入ると掲示板に慣れていない者による書き込みが増えて荒れると言われていたが、今も大概だと感じる。

 というか、普段からXは炎上しすぎである。それが目に入ってくるタイムラインがあるから性質が悪い。私はこれの浄化のために「ハンバーグ レシピ」「かわいい動物」「きれいな絵」でX内を検索した。前二者はおすすめタブの平穏化に役立ったが、「きれいな絵」は生成AI問題を連れてきた。当該ポストには、確実に人が描いたと思われる絵や漫画をいいねしてタイムラインからご退場いただいた。

 話を本題に戻そう。まずXにうんざりした私は、読書をした。

 読書はいい。読書をしていると、こんなに楽しいことがあるのに私はどうして普段やっていなかったんだろう、と思う。読書をしているときがいちばん楽しい。小説を書いているときも同じことを感じる。私は読むのも書くのも好きだ。だから小説とは一生付き合っていくだろう。

 今回読んだのは小説ではない。小説家スティーヴン・キングの「書くことについて」という執筆エッセイだ。彼の個人的な体験もあるし、執筆に関する貴重なエッセンスも詰まっている。今日読んだ中で印象的だったのは、「ラヴクラフトは怪奇小説を書くことにおいては天才だが、会話はひどい」という文だ。あんまりだ。私はラヴクラフトの爪の垢ほどの仕事もしていないが、台詞に関しては苦手意識があり、こんなことを自分が言われたらと思うとおんおんと泣いてしまう。心の中で。

 ラヴクラフトはどうして台詞がひどいのだろう? 自身の中の恐怖を奇怪な生物とそれが引き起こす怪奇現象に書き上げることは非常に得意としているし、それに対面したときの人間の心の動きはトップクラスにうまく表現していると思う。それと台詞とはまた別なのだろう。人間が心の中で感じていることと外に口を通して出すことの間には遠い隔たりがある。口で話すことを不得意とする物書きの、これは一つの感想だ。

 読書をするとこんなにおもしろく本質を書いた文章が世の中にあるのに、SNSに目と手を奪われていたなんて、と反省する。こう書くと私がXの冷笑ユーザーを笑う冷笑オタクのように受け取られるかもしれない。偏った見方だが、実際その面はあるだろう。

 何気なしにXを開いてしまうその指を、kindleに向ければそこには肥沃な知の大地が広がっている。恐ろしかったり、美しかったり、心の底から感動できる物語がある。有意義、インプット、という言葉で読書を勧めるのは好きではない。ただ気軽な気持ちで、2分でも時間が空いたら、SNSを開く代わりに読書アプリを開いてみてはどうかと、提案したい。

 風邪のときの過ごし方その二。私は普段ゲームをしない。単純に続けること、積み重ねることが苦手だからだ。自分の少年時代を遡るともっと根本的な理由も出てくるのだが、ここでは割愛する。ゲームこそ腰を据えてやるものという固定概念が私の中ではできあがっていた。だから私はこの風邪期間、久しぶりにSwitchを手に取った。

「どうぶつの森」の中で私の島は、現実と同じく夏を迎えていた。たっぷり時間があるのをいいことに、私はこのゲームで普段はしない釣り、虫取り、海の幸獲りという採取に熱中した。夏である。色鮮やかな魚や虫がいっぱい採れる。海の幸は今まで一度も触れたことがなかったが、やってみれば簡単だった。地上の採取ほどの集中力を保てなくなると、私はひたすら海に潜った。ホタテを捕ればラコスケというラッコの哲学者が真珠と交換してくれる。真珠はDIYによって、マーメイド系の家具に生まれ変わるらしい。人魚好きとしては嬉しいテーマだ。

 こうして採取しまくると一日に10万ベル稼ぐのは難しいことではないことも分かった。ローンの返済だのキャンピングカーを呼ぶための募金だの途方もない目標は設定されているが、ゲームの中で生来の狩り欲を満たす楽しみ方をしていれば、それも苦ではない。かぶのために他の村に行ったときに比べれば、よほどこちらのほうが心穏やかである。

 長い間ゲームは自分にとって、時間を奪うものだった。やってもうまくならないから、つまらない。報酬として達成感が得られる娯楽ではなく、自信を損なう苦痛だった。熱中できたタイトルは、スキルが必要なかったりストーリーが短かったりするアクションゲームやシミュレーションゲームに限られた。それも、一人プレイで、他人と比べずに済むものばかりだ。

 そのゲームをしているときの自分を好きでいられるようなゲームはとても希少だ。今後もゲームとうまく付き合っていけるように、熱中しすぎて他を疎かにすることなく、他人と比べたり貶めたりすることなく、心を回復させる手段の一つとして楽しく遊んでいきたい。

 それから今回の風邪では、漫画も読んだ。今回読んだのは「メイドインアビス」だが、これは床に伏しているときに読むものとして適していなかったように思う。具合が悪いときは、まずかすんだ目でも見やすい大きな字で書かれており、ページあたりの情報量が少なく、話が分かりやすいものがいい。そして気が滅入るような話は避けるべきだ。

「メイドインアビス」は13巻と14巻を読んだ。ボンドルド編と成れ果ての村編(正式な呼び方は分からない)に比べれば展開は前向きだったが、新情報が多く熱に侵された頭では今までの話を照らし合わせてうまく読み解くということができなかった。

 昔風邪を引いたときは、「鬼滅の刃」を二日で読んだ。さすがに巻数が多いので情報量が多かったのだが、画面は相当見やすくて、文字を読み疲れたり位置関係を把握できなかったりした記憶はない。この間久しぶりに読み返したら、以前よりもおもしろく感じた。アニメーションは見ていない。ただ若い人たちがこの作品を愛しているのを見て、キャラクターに感情移入する気持ちが湧いたのだ。これは児童向けの漫画なのだ、と理解したことで、斜に構えた見方をしなくなったのもある。

 こんなところだろうか。基本的に風邪を引いたら布団から動くべきではない。休むのに飽きたからといって机でキーボードを叩いていてはいけない。私の場合は明日から原稿を始めるにあたり、頭をテキストを入力するモードに切り替えなければならなかったというのが最大の理由だが、そもそも体調がよくなっていなければ話にならないのである。

 ただ書くことでだいぶメンタルはすっきりした。日記を付けることは私にとってたくさんの効果と理由がある。これについては後日書こう。

 喉に長ネギを巻いて寝る。これはさっき長ネギと名付けたアイスノンだ。冷たくて気持ちいい。

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